古代中国の曹操は、人を登用するとき
「有能なら倫理問題あっても、よい」
「逆に清廉潔白な無能は要らない」
と語ったとされます。
ですが、現代日本ではこのような考え方は支持されていません。
倫理観に問題のある人物を重用することは、組織全体の倫理観を低下させ、不正や腐敗を招く可能性があります。
国会議員の候補選びなどは、むしろ積極的に無能を選ぶ傾向すら見えます。
無能なら、悪いことを計画する能力も無さそうですしね。
安全第一な人選かもしれません。
ですが、緊急時や変革期においては倫理的に完璧ではない人物でも、突出した能力によって組織を危機から救ったり、停滞した状況を打破したりすることがあります。曹操が生きた後漢末の動乱期はまさにそのような時代であり、なりふり構わず有能な人材を求める必要性があったとも言えるでしょう。
そして現代日本に目を向けると、まさに緊急時で変革期ではないでしょうか。
国会では重要案件を放置し、スキャンダル暴き合戦や揚げ足取りに終始、参加しない者は居眠りするだけ。
まさに無能が集まっている集団。
失われた30年の真の戦犯は、この「潔癖主義」かもしれません。